批判的なことを言われてもダメージがなかったケースから期待の弊害を考察した話

先日、私たちが制作した採用活動に使う宣伝資材に対して、他部署の社員から痛烈な批判を受けました。ほぼ悪口でした…涙。

ただ、私自身の心はほとんど動かず。。。冷静に「貴重なご意見をありがとうございます」と回答できました。

少なからず、他者からの批判は堪えるものだと思っていたのに、ここには何かあるなと、少し考えてみることにします。

他者からの批判から身を守る方法が見えてくるかもしれません。

結論)相手への期待が影響している

色々と内省はしてみたのですが(後掲します)、結論としては、相手への期待がダメージに左右していることが考えられます。

「相手に対して、ここは批判してこないだろうと(勝手な)期待をしている」

相手への期待が破られることで、勝手にダメージを受けているのが、普段のワタクシなのではないかと考えました。

考察)対象物や批判した主体にそれぞれ目を向けてみる

それでは、なぜダメージを受けなかったのか、対象となった成果物や、批判してきた相手方に目を向けて考えてみたいと思います。

批判された対象である成果物に目を向ける

成果物は、採用活動に使う動画資材でした。

わが社のMVVを面白おかしく表現したものでしたので、好みは別れるものだと思いました。

答えのない仕事。

そんな成果物だったので、一定の批判を受けることは想定していたので、今回の批判に対して、何ら精神的ダメージがなかったことが考えられます。

でも、必ずしもそうとも限りません。

例えば、共にこの成果物を汗をかきつつ作ってきた仲間から言われたとしたらどうでしょうか。

「塩田さん、なんかつまんねぇ仕事しましたね!こんなんゴミですわ。」とか言われたら…。

しばらく旅に出たい気持ちになるかもしれませんね。

必ずしも、成果物に好みが分かれるからということだけが理由ではない気がしました。

相手の属性に目を向ける

それでは、お相手の属性を振り返ってみましょう。

  • 役職定年したマネージャークラス(今は私とほぼ同じ)
  • 人事とは全く無関係な畑を歩まれてきた
  • あまり面識がある相手ではない
  • 今回の資材の制作にあたっては影響力(決裁権)はない

例えば、今回の資材の制作に影響力(決裁権)がない。ただの外野の意見だから気にならなかったのではないかと考えてみました。

とは言え、「人事っていいよねー。汗かかなくていいし、一円も稼がなくていいし」などと、影響力(決裁権)のない社員から、批判(悪口?)を受けて、時にこれに、シュンとなることがあります。

必ずしも、権限の話ではないと思われます。

お相手の方は、人事のことは分かっておらず、能力も特に抜きんでた方ではありませんでした。

もしかすると、心のどこかで自分より下に見ていたのかもしれません。

「バカな人から何を言われても平気」そんな考えもあるかもしれない・・

でも、本当にそうでしょうか。

私が彼のことをどう見ていたかは、置いておくにしても、何の知識もない人から、言われなき批判を受けた時にも、シュンとなることがあるように思います。

それこそ、先の「人事はいいよね」発言などを、様々な社員から言われるわけですが、相手がいわゆる窓際社員であっても、心を痛めていることがあるように思います。

必ずしも、相手の能力や権限によって変わるものでもないと考えられます。

考察)私が傷つく時の共通点は何だったんだろうか

それでは、今度は目線を変えて、私がダメージを負う時の共通点を見てみましょう。

答えがなく、好みが分かれる成果物に対する批判にダメージを受けるのはどんな時でしょう。

権限も能力もない人から批判を受けた時にダメージを受けるのはどんな時でしょう。

答えがなく、好みが分かれる成果物に対する批判は堪えない?

先に述べた通り、

  • 今回の相手方の批判には心が動きませんでしたが、
  • 共に頑張った仲間からだとダメージを受けそうだと思いました。

ここには何があるのでしょうか。

おそらく、共に戦ってきた仲間なのだから、「この成果物に対して、批判的な感想は持たないよね」というある種の期待を持っていると思います。

そんな期待を持っている相手からの批判はしんどいけれど、そもそも「批判をされないことを期待していない相手」からの批判は、私の心を動かしませんでした

でも、共に戦ってきた仲間とて、バックグラウンドはそれぞれ異なるわけだから、この成果物に対して、批判的な感想を持つこともあるのかもしれません。

そういう意味では、メンタルへのダメージのスレスレのところを歩いているのかもしれません。

権限も能力もない人からの批判は堪えない?

それでは、権限も能力もない人からの批判でも、ダメージを受ける場合があると、前の方で述べました。

どういう時でしょうか。

例えば、人事のことを何もわかっておらず、人事権もない社員から、「人事っていいよね!稼いでないから!」と言われたときの、苛立ちを思い返してみます。

人事担当としては、社員のため、組織のために、日々、面倒な事務手続きを縁の下で頑張っている自負があります。

社員に活力を与え、組織を元気にして、社会をより良いものにしたい。

組織のMVVのことを、最もよく考えて動いている集団の一つと言っても過言ではないという自負があります。

そこには、自分たちは頑張って人事の仕事を頑張っていて、それなりの成果を出しているにもかかわらず、そこを分かってもらえない悔しさを感じている自分がいるように思います。

それは、社員に対して、「人事部の重要性をわかってもらえるよね。こんなにがんばっているのだから」という、(勝手な)期待を持っていることが見えてきました

不必要にメンタルにダメージを負わないために

以上のことから、「相手に対して、ここは批判してこないだろうと(勝手な)期待をしている」時に、ダメージを受けているのではないかと結論付けました。

でも、ここまで考えてきて、見えてきたことがあります。

やはり、似た価値観(同じ会社ですもんね)だと思っていても、微妙に想定しない方向性で物事を見ている場合があるものだと思います。

そして、時には、私の何かに批判的な意見を口にすることがあるでしょう。

(成果物への批判が私自身の人格に対する批判であることは前提として、)

すべての他者からは、絶えず否定的な目線を向けられる時・可能性があります

そうであることに気付けたら、

「『いかなる時にも、否定的な目線を向けられないでいられる』ことを、(勝手に)期待する」ことを手放せると感じました。

これを手放しておけば、ダメージを受ける機会はぐっと減ると思います。

皆さんにも、この気づきを共有したかったので書きました。

私たちがどんなに頑張って準備をしても、面接官はあなたの期待通りにあなたを評価しないかもしれません。

私たちがどんなに頑張って仕事をしても、管理者やクライアントはあなたの期待通りにあなたを評価しないかもしれません。

相手に期待することは、ダメージを負うリスクになります。

傷つきやすい方は、心のどこかに置いておいてください。

それでは、エレベーターまでお送りしますね。機械があれば、また。

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